かつて、江戸時代に黒船が来日した時に、当時のアメリカ人は「頭にピストルをつけているぞっ!」と、とてもビックリされたのは、有名な話です。, 江戸時代も260年以上続きましたから、そりゃあ最初と幕末の方でも好みや流行も変わってきます。, しいて言えば、月代(さかやき)があるくらいですかね。よって前髪がないということですね。, 茶筅髷(ちゃせんまげ) 、折り髷(おりまげ)は、室町時代から江戸時代初期までされていました。, あえて剃って作る『月代(さかやき)』に関しては江戸時代に入ってからされるようになり、髷のあり方が大きく変わった時期でしたね。(これに関しては次回詳しく解説していきます。), 細かく分けると数十種類あると言われていますが、しっかり髷の『種類』として認定できるものは、実際は少なく感じます。, 人それぞれ髪質やクセ、毛量、骨格によっても、同じ髪型であれ違ったものに見えてきますので、今回は分かりやすい種類をご紹介していきます。, 一般的に思い浮かべる髷こと『銀杏髷(いちょうまげ)』は大きく分けて3種類くらいに分類されます。(年代によっても流行も変わってきます。), 上の絵のような感じのオーソドックスなタイプの髷。人当たりのいい雰囲気で、接客業の方や女子ウケを狙う方にオススメ!, 月代部分を広めにとったり、変則的に剃ったりして作る髷。職人さんや武士等の「男らしさ」や「粋」を演出するのに最適!, かなりガッと剃り込んでますね!ほぼ半分近くは無いですね。本多髷みたいで大銀杏な髷ですね。カッコよすぎ!!江戸っ子感がすごい!(実際は白黒写真ですが、カラーに加工しています。), 子供の髪型をご紹介した時にも出てきましたが、江戸のティーンエイジャーに流行りのコレ!もはや上だけ剃るって変だよ!(笑), ということで、いくつかの髷スタイルをご紹介してきましたが、意外とこの髷スタイルってバランスいいですよね!トップに髷がある事で、高さがでて、サイドは鬢(びん)の高さでボリュームが調整可能なため、その人の顔のバランスに合わせて作れそうです!なんか見れば見るほど、ちょっとカッコよく見えてきました!, よく髷のことを「丁髷(ちょんまげ)」といいますが、この丁髷の言われの由来は、年を召して、髪の毛が細くなり薄くなってくると髷が少ししか結うことができず『ゝ』(ちょん)という字に似ていたから老人の髷を揶揄するところから、「ちょんまげ」と呼ばれるようになったようです。, 髷の形も人それぞれで、剃り方も好みによって変えたりしていたので、違いが分からないようでちょっと違う。なんだか個性というオシャレの美学を感じますね!, きっとこの時代も、髪型にこだわっている男子はモテたんでしょうね!基本的にみんな同じ髪型なので、丁寧にセットすれば美意識が高く見えます。, はい。スゲーーーーーー難しかったです!!作る前は「こんなん簡単でしょう!」と思っていましたが、なかなかバランスが難しいんですよね〜。, でも、ほんと楽しかったですわ!髷ってのは、本当に奥深いですね〜。200年以上もされていた髪型なので、一朝一夕で語れるほど簡単でもないのですが、やっぱ変な髪型だよ!(笑), 次回は、なぜあの髪型になったのか?いつから月代が始まったのか?について解説していきます!, camdentown2012さんは、はてなブログを使っています。あなたもはてなブログをはじめてみませんか?, Powered by Hatena Blog 日本髪(にほんがみ)は、広義では古墳時代から昭和戦前までの日本固有の髪形、狭義では安土桃山時代後期から幕末までの女性の結髪を指す。 100ほどあった地域国家がヤマト王権に統一され「倭国」として確立しつつあったのが、この古墳時代。歴史の授業でお馴染み、前方後円墳がさかんに作られた時代です。対外関係も活発になり、4世紀以降には朝鮮半島に進出。 本項目では日本の髪型の変遷や男性の風俗を分かりやすく示すため、広義の「日本で過去に存在した髪型」の一覧を示す。, 男性の髪型はひっつめで、後の銀杏髷に近い形が主流。女性の髪型は立兵庫、元禄島田、元禄勝山等、細長い髪型が主流で、髱も鴎髱、鶺鴒髱等、後ろに突き出す形が流行した。, 男性の髪型は本多髷が主流。女性の髪型は灯籠鬢という、横に張り出し、透けた感じの鬢が主流になり、髷も島田髷や勝山など横に広くて大きい髷になる一方、髱の方は鬢の張り出しと反比例して概ね小さい膨らみか、全くないものとなるかあるいは後ではなく下の方に膨らむようになり、この頃から抜き衣紋が行われるようになった。, 男性の髪型は再び銀杏髷が主流で、女性同様に鬢を膨らませた厚鬢になり、町人の場合は袋付という下に膨らませた髱が主流になった(但し男性は抜き衣紋をしない)。女性の髪型は灯籠鬢の流行が下火になったが、高島田、つぶし島田、結綿、桃割れ、丸髷、先笄等、ほぼ現行の髪型がこの時期に定着した。髱は公家・大名家では椎茸髱が主流となり、一般武家・町人は関東では下に膨らませる、関西では少しだけ丸く膨らませるのが主流になった。, 洋風化の影響で、男性は殆どが洋髪となったが、女性の場合は洋風の髪型が登場し始めた一方で、折衷ともいえる束髪、夜会巻き、耳隠し、行方不明髷等の洋服・和服双方に合う髪型も考案された。, 二百三高地髷(にひゃくさんこうちまげ)は、日露戦争後に日本で流行した髪形で、前髪を張り出すとともに頭頂部に束ねた髪を高くまとめていた。当時普及し始めていた洋装にも合う髪型として生み出され、流行した。, ラヂオ巻きなどモダンな名称の洋髪も生み出され、戦時体制に入るまでは和服の場合に限り従来の日本髪(と、白塗りの厚化粧)も依然として結われた。, 日本髪文化は、歌舞伎、時代劇、花柳界、結婚産業以外では殆ど衰退したが、現在では正月等の晴れ着の場合に新日本髪を結う場合が多い。, ※少女:第二次性徴前、妙齢:第二次性徴後の未婚、既婚:18歳以上の未婚を含む場合有り, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=日本髪&oldid=80083911. 日本人の髪型の歴史~古墳時代の髷~ おそらく、わたしたちの記憶に残る日本最古のメンズヘアスタイルといえば、古代の神々定番の、あのスタイルではないでしょうか。 その名も「美豆良(みずら)」。あの耳の横で左右に分けて結ぶ髪型です。 奈良時代 710年〜794年まで続いた84年間(784年〜794年、長岡京) 奈良時代の主な事としましては、平城京に都が移りましたね。その街も、中国の首都「長安」を真似させて造らせたほどだったそうです。憧れの都だったのでしょうね〜。 「日本人かどうかは髪型を見ればわかる」と言われることがあります。 日本人男性にとっておしゃれでかっこいい髪型と言いばマッシュヘアやウルフヘアなどが有名ですが、実はそんな髪型が 「外国人とくらべてダサい」 と言われているという話を聞いたことはありませんか? 美豆良(みずら) 古墳時代・大和時代 男性の髪型 垂髪(たれがみ) 古墳・大和時代~平安・鎌倉・室町時代 一般女子 頭上一髻(ずじょういっきつ) 奈良時代~平安時代初期 男女(身分)で髻の大きさ等に違いあり 頭上二髻(ずじょうにきつ) 奈良時代~平安時代 主に女性 古墳時代の髪型. さかやき(月代)とは、江戸時代以前の日本にみられた成人 男性の髪型において、前頭部から頭頂部にかけての、頭髪を剃りあげた(抜き上げた)部分を指す。 さかやきを剃った髪型のことは、野郎頭 や半髪頭と表現される。 概要. みなさんにとって日本の髪型の歴史上、一番最初に思い浮かぶ髪型はなんですか? おそらく『丁髷(ちょんまげ)』!と思い浮かべた人は多いのではないでしょうか? それほどまでに、とても有名で不思議な髪型ですよね! もちろん現代でやっている人は、ほとんどいないでしょう。 日本髪(にほんがみ)は、広義では古墳時代から昭和戦前までの日本固有の髪形、狭義では安土桃山時代後期から幕末までの女性の結髪を指す。 本項目では日本の髪型の変遷や男性の風俗を分かりやすく示すため、広義の「日本で過去に存在した髪型」の一覧を示す。

さかやき(月代)とは、江戸時代以前の日本にみられた成人男性の髪型において、前頭部から頭頂部にかけての、頭髪を剃りあげた(抜き上げた)部分を指す。さかやきを剃った髪型のことは、野郎頭[1]や半髪頭と表現される。, 兜を被った際に頭が蒸れるのを抑えるために始まった風習とされる。平時は側頭部および後頭部の髪をまとめて髷を結った。なお、現代日本において時代劇等で一般男性の髷としてなじみとなっているのは銀杏髷であり、髷が小さい丁髷ではない。さかやきをそり、髷を解いた髪型を「童髪(わらわがみ)」といい、「大童(おおわらわ)」の語源となっている。また、兜を被った際に頭が蒸れるのを抑える目的は「弁髪」に共通している。, 「サカヤキ」の語源、また「月代」の用字の起源は諸説ある。一説にさかやきはサカイキの転訛であるという。戦場で兜をかぶると気が逆さに上るから、そのイキを抜くためであるという伊勢貞丈の説が広く認められている。, 『玉葉』安元2年7月8日の条に、「自件簾中、時忠(平時忠)卿指出首、(其鬢不正、月代太見苦、面色殊損)」とあり、平安時代末期、行われていたことが分かる。, 『太平記』巻5に、「片岡八郎矢田彦七あらあつやと頭巾を脱いで、側に指し置く。実に山伏ならねば、さかやきの跡隠れなし」とあり、絵巻物などと照らし合わせると、鎌倉時代、室町時代にさかやきが行われていたと分かる。当時は、兜による頭の蒸れ対策として戦の間だけ行われた習慣であり、日常に戻った時は総髪となった。, 戦国時代になると、さかやきが日常においても行われるようになった。それまでは毛抜きで頭髪を抜いてさかやきを作るのが主流であったが、頭皮に炎症を起こし、兜を被る際に痛みを訴える者が多くなったため、この頃を境に毛を剃ってさかやきを作るのが主流となる。, 沖縄の古謡集『おもろさうし』のうち、1609年の島津氏による琉球出兵を歌ったものでは、薩摩兵を「まへぼじ(前坊主)」と揶揄しており、さかやきを作っていた事がわかる。, 江戸時代になると、一定の風俗となった。公卿を除く、一般すなわち武家、平民の間で行われ、元服の時はさかやきを剃ることが慣例となった。蟄居や閉門の処分期間中や病気で床についている間はさかやきを剃らないものとされた。外出時もさかやきでない者は、公卿、浪人、山伏、学者、医師、人相見、物乞いなどであった。さかやきの形は侠客、中間、小者は盆の窪まであり、四角のさかやきは相撲から起こり、その広いものを唐犬額といった。江戸時代末期にはさかやきは狭小になり、これを講武所風といった。また若さをアピールする一種のファッションとして、さかやきやもみあげを藍で蒼く見せるという風習も流行した。, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=さかやき&oldid=74330053. ブログを報告する. |