「マー君」の愛称でおなじみの田中将大選手。高校時代には、あの斎藤佑樹選手との甲子園での対決で注目を集め、現在はメジャ... 今回は2018年にメジャーリーグに挑戦し、ア・リーグ最優秀新人王を獲得、「二刀流」の選手として最も注目度の高い大谷選手の年収事情について... https://career-books.com/wp-content/uploads/2020/07/W240_3.png, 愛くるしいキャラクターでファンから人気の川崎宗則選手。ホークスで活躍し、メジャーリーグにも挑戦し、現在は台湾プロ野球チームに選手兼任コーチと …, 今回は、現在二軍調整中で来季の去就が注目されている「平成の怪物」こと松坂大輔選手の、年俸や成績について調査しました。 戻る次へ. ]

松田 宣浩(まつだ のぶひろ、1983年5月17日 - )は、滋賀県草津市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。妻はフリーアナウンサーで元九州朝日放送アナウンサーの松田恵理。, 1983年5月17日に滋賀県草津市矢橋町で生まれた[2]。双子の兄とともに草津市立老上小学校2年生の時に矢橋レモンズで軟式野球を始めた[2]。中学校では栗東ボーイズに入り、硬式野球に転向した[2]。, 兄とともに中京高等学校に進学、主に3番・遊撃手で出場し、高校通算61本塁打を記録した[2]。2年時に第82回全国高等学校野球選手権大会に出場も、対沖縄県立那覇高等学校戦で延長の末、自らの悪送球で決勝点を与え、1対2で初戦敗退した(投手だった兄はこの試合では監督の方針で温存され出場せず)。なお高校在学中に松田兄弟を視察した内田俊雄亜細亜大学硬式野球部監督によれば、「バッティングにしろ、守備にしろ、しなやかさが足らずに硬いところがあった」宣浩より、兄の方が評判は良かったという[3]。高校卒業後、宣浩は亜細亜大学へ進学、兄はトヨタ自動車野球部に所属(金子千尋と同期入社であり、高卒での入社はこの二人のみ)し、初めて兄とは別のチームに所属することとなる。, 亜細亜大学入学後は、先述の甲子園での悪送球を見ていた内田監督の「そもそも細かなフットワークで美しい守備をするというよりは体力に任せたプレーが目立っていたので、守備で神経をすり減らすことなく負担が少ないサードを守った方が良いだろう」という判断で遊撃手から三塁手にコンバートされ[4]、1年春(2002年)から4番を任され東都大学リーグ戦に出場し、同シーズンで3本塁打と力を見せた[2]。同年は第1回世界大学野球選手権日本代表メンバーに選出されて5番を務め、3位に貢献した[2][5]。2003年も2年連続で第35回日米大学野球選手権大会日本代表メンバーに選出された。リーグ戦でも秋季だけでシーズン6本塁打を記録、井口忠仁(青学大)が持つリーグ通算24本塁打の記録更新も期待されていた。しかし、3年時に部員の不祥事が発覚し、亜細亜大学は半年間の対外試合禁止の処分を受けた。その結果リーグ戦、入替戦は不戦敗扱いとなりリーグ2部へ降格となったため、松田が在籍中の1部復帰は不可能となり記録更新はならなかった[6]。その後、亜細亜大学は主将に就任した松田を中心に2005年秋のリーグ2部で優勝し、1部へ復帰した。1部リーグでは通算76試合出場、275打数62安打、打率.225、15本塁打、41打点でベストナインを1回獲得した。2部リーグでは通算10試合出場、37打数9安打、打率.243、4本塁打、10打点を残した。, 2005年11月18日に行われた大学生・社会人ドラフト会議にて希望入団枠制度により選択され、12月2日に仮契約を行い福岡ソフトバンクホークスに入団した[7]。12月5日に入団会見を行い、背番号は「5」に決まった[8]。ソフトバンクはチームの若返りを図る方針へ転換し、同年27本塁打を記録した正三塁手のトニー・バティスタとの契約を1年残して打ち切り[9]、松田を江川智晃らと競わせるとし、二塁手へのコンバート案も挙げていた[8]。, 2006年は開幕一軍入りを果たすと、3月25日のパシフィック・リーグ開幕戦でスタメン出場[10]。新人野手が一軍の開幕戦にスタメンで出場したのは、小久保裕紀以来チーム12年ぶりだった。しかし6月15日に二軍落ちすると、そのままシーズンを終えた[10]。, 2007年は前年まで読売ジャイアンツに在籍していた小久保裕紀がチームに復帰したため、シーズン前半は出場機会がなかった。しかし二軍で打率.331、チームトップの9本塁打の好成績を残し、多くの故障者を抱えるチーム事情から6月に一軍に昇格し、そのまま一軍に定着。8月には月間打率3割を記録し、200に満たない打数で7本塁打と長打力の片鱗を見せた。, 2008年は三塁手のレギュラーに定着。長期の離脱もなくシーズン通して活躍し、打率や本塁打など前年に比べ確実な成長を見せた。6月1日にマーク・クルーンがプロ野球記録となる球速162km/hを記録した時の打者でもある(結果は空振り三振)。9月29日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では、初回に岩隈久志から本塁打。これは同シーズンに岩隈がパ・リーグの選手から打たれた唯一の本塁打となった。同年10月、九州朝日放送の柴田恵理アナウンサーと結婚。, 2009年は秋山幸二新監督体制の目玉の一つとして3番打者に指名されていたが、開幕戦で一塁へ帰塁した際に右手甲を骨折し離脱。6月5日のセ・パ交流戦、広島東洋カープ戦で一軍に復帰し、勢いに乗るチームと共に活躍を見せたが、7月18日の千葉ロッテマリーンズ戦で唐川侑己から死球を受けて右手首を骨折。46試合の出場に終わった。, 2010年4月18日の楽天戦で9回裏に田中将大からプロ入り初のサヨナラ打を打った。5月4日の対オリックス・バファローズ戦で山本省吾から自身初の満塁本塁打を打った。5月9日に左手首を骨折のため離脱したが、6月22日の日本ハム戦で一軍に復帰、7月10日のロッテ戦では普段守らない左翼手として先発出場した。年間で打率こそ.255だったが、19本塁打、71打点、17盗塁と本塁打、打点、盗塁で自己最高の結果を残し、優勝に貢献した。, 2011年4月17日の埼玉西武ライオンズ戦で自身初のサヨナラ本塁打を含む2本塁打を、20日と21日には2試合連続の本塁打(21日はホセ・オーティズとの2者連続本塁打)を放った。4月はリーグ2位の4本塁打、同2位のOPS1.014を残した。その後も打撃は好調で、松中信彦、小久保、アレックス・カブレラが相次いで離脱した9月25日以降は最終戦まで4番を任された。結果的に自身初めて全試合にフルイニング出場し(他にチーム内では川﨑宗則・本多雄一も記録。1チーム3人の全試合フルイニング出場は2リーグ制以後、初の記録[11])、いずれも自己最高の打率.282、25本塁打、83打点、27盗塁、OPS.854を記録し、リーグ連覇に大きく貢献した。, 西武と戦ったクライマックスシリーズファイナルステージでは、4番にはカブレラが座り松田は5番で出場、第2戦で決勝点となるソロホームランを放ったものの、全3戦で打った安打はこのホームラン1本だけで、13打席10打数1得点1安打1本塁打1打点2四球で打率.100と、レギュラーシーズンと比べると結果は良くなかった。プロ入り後初の出場となる日本シリーズでは、カブレラの不振により第1戦・第2戦では4番・三塁手としてフル出場したものの、この2試合で2安打無打点1盗塁と4番としての役目は果たせなかった。小久保と入れ替わる形で第3戦で5番に打順が下がるとすぐに1安打1打点と、以降第5戦までは5番、松中がDHスタメン出場した第6戦・第7戦では6番で出場して得点にからむ安打・犠打・盗塁及び第5戦での押し出し死球での1打点などは出たものの、7戦通しての成績は28打席25打数2得点4安打2打点3盗塁1犠打1四球1死球5三振で打率.160に終わった。, 2012年は、一時、盗塁数がトップを記録するなど開幕から好調であったが、5月から本塁打数と盗塁数が減少し、徐々に失速。それでも中盤まで首位打者争いで上位につけるなど、高打率を維持していた。しかし8月1日の楽天戦で美馬学から死球を受け、右第4中手骨骨折で全治3ヶ月と診断される。骨折するまで9本塁打、56打点と好調だった[12]。しかし、シーズン終盤の10月5日のオリックス戦から復帰した。シーズン通算では怪我もあって、95試合の出場、9本塁打に終わるも、打率は規定打席未到達ながら3割、盗塁数は16個を記録した。, オフの11月6日に「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表に選出された[13]。12月4日には第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表候補選手34人に選出されている[14]。また2017年からは背番号を5から自身が侍ジャパン強化試合で付けており、かつ尊敬する元巨人長嶋茂雄の付けていた3に変更する。, 2013年2月20日に第3回WBC日本代表選手28人に選出された[15]。同大会では主に「9番・三塁手」として活躍。打率.333、5打点を記録し、準決勝進出に貢献した。, シーズンでは、4月11日のオリックス戦ではサヨナラ本塁打を放った[16]。シーズン序盤は打率が2割3分台まで下降するなど低調だったが、交流戦に入ると徐々に調子を上げ、チームの4番に定着。内川聖一、長谷川勇也らと強力なクリーンナップを形成し、6月13日のセ・パ交流戦、対ヤクルト戦ではプロ初の1試合5安打をマークするなどチームの交流戦優勝の原動力となった[17]。夏場以降は好不調の波が激しく、柳田悠岐が頭角を現したこともあり、6番を打つこともあったが、最終的にはフルイニング出場を果たし、2年ぶりの20本塁打、打率.279、キャリアハイとなる90打点でシーズンを終えた。同年2年ぶり2度目のゴールデングラブ賞を受賞した。, 2014年から選手会長に就任[18]。レギュラーシーズンでは、5月13日の対ロッテ戦(QVCマリンフィールド)で、涌井秀章からNPB公式戦通算9万5000本目の本塁打を放った。また、オールスターゲームのファン投票および選手間投票では、パシフィック・リーグの三塁手部門でいずれも1位を獲得している[19]。しかし、7月2日の対ロッテ戦(福岡ヤフオク!ドーム)試合前練習中に、ノックの打球が右手人差し指を直撃。同日の試合には出場したが、翌3日に病院で診察を受け、右人さし指末節骨骨折で全治に6週間を要することが判明した。結局、3日付で出場選手登録抹消。2012年10月5日対オリックス戦からの公式戦連続フルイニング出場記録が218試合で止まった。また、7月4日には、球団を通じてオールスターゲーム出場の辞退を届け出[20](楽天の銀次が代替選手として出場)。結局、一軍復帰は8月26日の対日本ハム戦まで持ち越された[21]。復帰後は、9月10日の同カードで、大学の先輩に当たる木佐貫洋から球団通算8,000号本塁打を記録[22]。レギュラーシーズン最終戦であり、勝てばリーグ優勝という状況であった10月2日の対オリックス戦(福岡ヤフオク!ドーム)では、1対1で迎えた延長10回裏1死満塁の場面で比嘉幹貴から左中間へサヨナラ安打を放って、チームのパシフィック・リーグ優勝を決めた[23]。この安打は、スカパー!が選ぶドラマティックサヨナラ賞で、同リーグの年間大賞に選ばれている[24]。, クライマックスシリーズ突破を経て臨んだ阪神タイガースとの日本シリーズでは、第3戦まで不振に陥っていた。しかし、10月29日の第4戦では先制2点打[25]、翌30日の第5戦(いずれも福岡ヤフオク!ドーム)ではチームをシリーズ制覇に導く適時打を放っている[26]。また、日本シリーズ後に開催された日米野球の日本代表に選出された[27]。11月14日の第2戦(東京ドーム)では、MLB選抜に選ばれていた元チームメイトの和田毅(シカゴ・カブス)から、チームの大会第1号本塁打(ソロ本塁打)を放った[28]。, 2015年はシーズン開幕前の2月16日に「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出された[29]。3月10日の第1戦に「6番 三塁手」で先発出場した[30]。3月11日の第2戦には代打で途中起用され、ルーク・ゾマーから三振している[31]。, レギュラーシーズンでは主に6番打者として、シーズン序盤から好調を維持。6月9日のセ・パ交流戦、対阪神戦(福岡ヤフオク!ドーム)で公式戦通算1000安打を岩田稔からの2点本塁打で記録[32]。7月5日の対オリックス戦(ほっともっとフィールド神戸)では公式戦では自身初の1イニング2安打[33]、同月12日の対ロッテ戦(QVCマリンフィールド)では公式戦通算1000試合出場[34]、8月11日の対オリックス戦(福岡ヤフオク!ドーム)では金子千尋から公式戦通算150本塁打を達成[35]。最終的にはいずれも自己最多となる35本塁打・94打点をマークし、加えて2年ぶりにオールスターゲームにも出場した。レギュラーシーズンの延長戦ではNPB史上3人目(パシフィック・リーグタイ記録)となるシーズン3本のサヨナラ本塁打を記録している[36]。チームの同リーグ連覇・クライマックスシリーズ突破を経て臨んだ東京ヤクルトスワローズとの日本シリーズでは、10月24日の第1戦(福岡ヤフオク!ドーム)で先制本塁打を記録。シリーズでは自身の初本塁打であった[37]。本人曰く、このシーズンは「自分にとってとても自信になったシーズン」になったとのことである[38]。, オフの11月に開催された第1回WBSCプレミア12の日本代表に選出された[39][40][41]。同大会では1次ラウンド第4戦(11月14日)アメリカ合衆国戦で7回表2死満塁の打席で満塁本塁打を記録し、チームの決勝トーナメント進出に貢献した。その一方で、6月17日に海外FA権を取得したことを受けて、プレミア12開催中の11月9日にこの権利の行使を宣言。行使の選択肢を「MLB球団への移籍」か「ソフトバンクへの残留」に絞った上で、MLB球団から松田獲得のオファーが出された場合には、同大会の終了後に交渉へ応じる意向を表明した。ソフトバンクでは、球団史上初めて、「宣言後の残留」を松田への特例として容認[42]。11月11日には、NPBから海外フリーエージェント宣言選手として公示された[43]。公示後はMLBの複数球団が松田の獲得への興味を示し、特にサンディエゴ・パドレスとは具体的な交渉へと進めることができたが、三塁以外に複数の守備位置を守るという球団からの条件提示に難色を示して破談に終わった(なお、「2年契約、総額4億円」の条件提示を水面下で受けていたという)[44][45][46]。松田は王貞治ソフトバンク会長からの要請で残留を決断し、12月24日の記者会見で残留を表明。その際、「4年契約、総額16億円+出来高」の契約を結んだ[44]。, 2016年はシーズン開幕前の2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表に選出された[47]。, シーズンでは主に5番(64試合)及び6番(72試合)で出場したが、7月には1番打者を7試合務めた機会があった(チームが28イニング連続で無得点に陥るなど不調の時期であることの起爆剤の意味合いがあったとのことである)[48]。全試合にスタメン出場したが、打率.259、27本塁打、85打点と前年より数字を落とした。特に、8月10日の対オリックス戦では「あと1人」の場面で代走を出されて、これにより「全試合フルイニング出場」を惜しくも逃すこととなってしまった[38][注 1]。, クライマックスシリーズ・ファイナルシリーズでチームは日本ハムに敗退したが、球団最多タイの3本塁打を記録した[49]。, オフの10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出された[50]。12月22日、契約更改に臨み、複数年契約のため現状維持の4億円でサイン。同時に、背番号を佐々木誠や松中信彦らが使用していた「3」に変更することが発表された[51]。, 2017年は、「侍ジャパンの開幕戦から、日本シリーズの最後まで、全部出続けたいと思います。それができたら本当に最高の1年になりますね」[38]と位置付けてキャンプインした。侍ジャパンの小久保裕紀監督は2017年のWBCでキャプテンは置かないとしているが、チームのまとめ役に松田を指名している。試合の方では、本大会、日本代表最終打者となった。, WBC終了後の、レギュラーシーズンの開幕戦は7番で迎えた。しかし開幕から不振に苦しみ、シーズンの1号本塁打は、4月30日の対オリックス戦まで待つことになった(シーズンの105打席目だった)[52][注 2]。6月27日の対日本ハム戦では史上101人目となる200号本塁打を達成。同打席では左翼ポール際への打球でビデオ判定が行われたもののファールとなり、その直後の投球で同記録を達成[53]。6月26日、マイナビオールスターゲーム2017にファン投票で選出され、2015年から連続で3度目の出場を果たす[54]。9月8日の対ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)おいて、2ランホームランを放ち、城島健司に並ぶ球団歴代5位の通算211本塁打を記録する[55]。このシーズンでは、6月に1番(2試合)、4番(3試合)での起用があったり、7月下旬からは、内川聖一の負傷離脱の影響もあって、16試合連続で3番に起用され続けたり[56]で、1番から7番のうち、2番を除く全打順で起用されたが、8月中旬からは6番での起用に落ち着いた。最終的には、全試合スタメン出場を達成し、打率.264、24本塁打、71打点の成績でチームの2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。, 楽天とのクライマックスシリーズでは、10月22日の第5戦に2ランホームランを放つなど活躍し、日本シリーズに進出する[57]。横浜DeNAベイスターズとの日本シリーズでは、11月4日の第6戦で、先制ソロホームランを放ち[58]、2年ぶりのチームの日本一奪還に貢献した。シーズンオフの11月9日、5年連続5度目のゴールデングラブ賞を受賞する[59]。12月4日、福岡ヤフオク!ドーム内の球団事務所で契約更改交渉に臨み、4年契約の3年目となる来シーズンを現状維持の4億円プラス出来高(金額は推定)でサインした[60]。, 2018年は、シーズン途中に阪神タイガースから松田遼馬がトレードで加入したため、スコアボード上の表記が「松田宣」に変更されたが、本人の希望で8月3日の対オリックス戦から従来のものに戻った。6月1日、打撃不振を理由に4年ぶりにスタメン落ちする。工藤監督就任以降では初で、怪我以外での理由によるスタメン落ちは2009年以来だった[61]。シーズン後半になると徐々に調子を上げ、3年ぶりに30本塁打をクリアしたものの、打率は前半の不振も響き規定打席に到達したシーズンで初めて2割5分を下回った。11月26日、プロ13年目で自身初となるベストナインを受賞した。12月18日、福岡ヤフオク!ドーム内の球団事務所で契約更改交渉に臨み、4年契約の4年目となる来シーズンを現状維持の4億円プラス出来高(金額は推定)でサインした。また翌年から背番号を3から2016年まで着けていた5に変更することも発表された。, 2019年は開幕戦で通算1500本安打をホームランで達成する[62]。日本シリーズでは、読売ジャイアンツを倒し日本一となった。これによりセ・リーグ全球団制覇[63]を達成した。, 2020年1月23日に契約更改交渉し、2年9億円で更新した[64]。新型コロナウイルス感染症の流行のため、無観客で開幕を迎えたこのシーズン、不振に陥り一時は打率.162・本塁打0の成績だったが、有観客となった初めての試合(7月10日・対楽天・福岡PayPayドーム)の初打席でシーズン初本塁打を放った[65]。しかし、その後も打撃不振が続き、打率・OPSはともにパ・リーグ規定打席到達者の最下位に沈み、9月10日の楽天戦(楽天生命パーク)では2試合続けてスタメンを外れ、さらに試合終了まで出場機会がなかったため、2014年8月26日から続いていた連続試合出場が815試合で止まった[66]。, 走攻守すべてにおいてスピード感あるプレーが持ち味で[67]、強肩を生かしたスローイングと三拍子揃ったプレーが魅力[68]。球界を代表する三塁手の一人であり[69][70][71]