天界下段界:善人 2. 「十界論 ー スピリチュアルな出世の段階 – ⑧天国篇 – 声聞界・縁覚界」の続きです。 今回はいよいよ、菩薩界です。 菩薩界。西欧的に「天使界」と言ってもよいでしょう。 今まで十界を順番にお話してきましたが、「基礎があって応用がある」という流れは一貫しているとお気づきの方もいらっしゃると思います。 すなわち、 1.

©Copyright2020 ネオ仏法 – Neo Buddhism – .All Rights Reserved. 六道には下記の6つがある 。 平等知(テーゼ)⇔ 差別知(アンチテーゼ), 平等知→差別知→平等性智は、「智慧の深まり」すなわち、「悟りの向上」を示しているわけですが、これは同時に、愛が隣人愛から社会的な愛へと質・量ともに拡大していく姿をも表していることになります。, ゆえに、「知の弁証法」は「仏教的な悟り(智慧)の獲得と、キリスト教・イスラム教的な隣人愛」を弁証法的に総合する理論になりえる、ということも示しています。, *隣人愛と言うとキリスト教的な特権のようですが、イスラム教(イスラーム)においても、「慈悲あまねきアッラーのもと、ウンマ(イスラム共同体)のメンバー同士が慈しみ合う」というのが信仰生活のスタイルですので、この点、本質においては、キリスト教もイスラム教も同じです。, *イスラム教は、「イスラム共同体以外(つまり、異教徒)に対してはテロを行うなど、排他的ではないか?」との意見があるかもしれませんが、教義的・歴史的に見ても、キリスト教よりむしろイスラム教のほうが異教徒に対して寛容です。こうした論点については、別の記事で取り上げるつもりです。, 私たちは地上に肉体を持って生きている部分だけではなく、潜在意識に自らのグループソウルのメンバーがいます。 それを古来より、”守護霊”と呼んでいます。, この無料プレゼントを読むことによって、潜在意識にアクセスして、守護霊からのインスピレーションを受け取る方法を知ることができます。完全無料ですので、ぜひこの機会に手に入れてくださいね。, このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。. 「キリスト教グノーシス主義の考察」, 要は、菩薩(天使)という存在は、私たちと永遠に隔たった異質な存在ではなく、輪廻を繰り返し、魂修行をした先にあるところの、私たちのひとつの大きな目標地点/メルクマールであるというこことです。, もっとも、大乗仏教では、「仏法を受け入れて利他行を決意すればもう菩薩」みたいな性急なところもありますけれど、これは、菩薩および菩薩界という世界をいかに定義するか?によっても解釈が変わってきます。, 前回の「声聞界」の延長で菩薩界を考えてみるならば、上述した「基礎があって応用がある」というところですね、これを当てはめてみると、, 「利他」はいわゆる「隣人愛」ももちろん含まれますし、むしろそれが基礎であるのですが、天界下段界の「善人としての隣人愛」とどう違うか?というところですね。, 結局、人界→天界→声聞界と段階を上がっていくにつれて、広い意味での「社会性」が増してくるのです。, 天界上段階では、「優秀性・影響力が問われてくる」と書きましたが、これは別の言葉で言えば、「社会性を帯びてくる」ということでもあります。, すなわち、天界下段界の隣人愛が、「ふだん接する人」を基本の対象としているのに対して、菩薩界の利他というのは、(もちろん、隣人愛は基礎にしておりますが)もう少し対象的に拡がりがあるということになります。, つまり、菩薩界の利他というのは、自分と直接的・日常的なつながりがない人々に対しても、愛の実践をすることができる。むしろ、その拡がりを望んでいる、ということです。, そうすると、菩薩界を仮に下段界・中段階・上段階と分けた場合、この違いは何処にあるのかと申しますと、上の世界に行くに従って、「利他の拡がり・影響力・社会性が増してくる」と定義することが可能かと思います。, 私たち一人ひとりは「個別的な存在」であるわけですが、オリジンに遡って考えてみると、大宇宙の「真実在」とでもいうべき存在からエネルギー分化してきたわけです。, エネルギー分化して、それが地上に生命を持つと、そこで個性化が起きる。個性の獲得ですね。, そして、個性を獲得しながら、他の個性と切磋琢磨しながら、魂を磨き、自らをより大きなエネルギーになれるよう努力しています。, これは、鮭の遡行ではないですけれど、やはり、作られたもの、すなわち子として、親(真実在)の元に還っていきたい、という願いに通じるものがあります。, そうであるならば、むしろ、「菩薩になりたい」というのは、実はきわめて正常な欲求であり、いやむしろ、この欲求に気づくことこそが、真なる意味での「魂の目覚め」であると言えるでしょう。, 菩薩界と言っても、広義の菩薩界と狭義の菩薩界にとりあえず分けて考えたほうがいいでしょう。, 狭義の菩薩界については、「実力・菩薩」ということで、けっこう認定としては厳しいところがあるかもしれません。, 仕事量としてはどのくらいが必要か?はいちがいに言えませんが、後世への影響も含めて、ひとりで数万人程度の人々に魂の肥やしになるような影響を与える実績と実力が必要かな、と思います。, 思想家や芸術家の場合、同時代では認められず、後世にだんだんと評価が上がっていくケースが多いです(逆パターンもありますが)。, その場合は、たとえば死後、すぐ菩薩界に還るというより、手前くらいの世界で慣らしつつ、だんだんと元の世界に還っていくイメージだと思います。, 地上に生きていたときの垢落としというか精算と言いますか、その期間が必要で、まっすぐに元いた世界に戻るというのは稀だと思います。, また、「もともとの霊格」というのはやはり影響してきますので、過去(過去世)での実績。グループソウル全体の実績・霊格で住むべき世界が決まる、という側面はやはりありますかね。, また会社のたとえで恐縮ですが、会社では1年を四半期といって4つの期間に分けますよね。, 4−6月までの成績、7月-9月までの成績、10月-12月までの成績、1月-3月までの成績の通しで1年間の勤務評定が決まるように、, グループソウル全体の霊格も、過去世1、過去世2、過去世3…今回の自分、といったふうに、トータルで決まるというイメージです。, *もっとも、グループソウルのなかの個々の魂も個性は保存されていまして、各々が若干、霊格が違うケースが多いかな?とは思います。, なので、狭義の菩薩界というと、過去世の実績も含めて…というふうになりますので、誰もが今から目指せる世界というのは、広義の菩薩界ということになります。, 広義の菩薩界は、(前回お話した)「声聞」の実力を持ちながら、実際に利他の実践に励んでいる段階です。, 十界論の基礎理論に従って考えると、現象界と実在界の心境は一致していますので、地上生活でも霊界に還ってからも心境は一致しているはずです。, なので、生活パターンもこの通りで、「真理の学びと利他の実践」を各々、具体化していくということが課題になっています。, 真理の知識を持っていると、ネオ仏法のさまざまな記事で書いておりますように、人間は「アイデンティティのあるエネルギー存在」ということを知っていますので、実際は、霊界に還ってからは物質的な仕事をする必要がない、ということになりますよね(ご飯を食べる必要もありませんので)。, なので、たとえば、自分より霊格の高い先生について真理の学びを深めつつ(=声聞の修行)、利他行に励むということになります。, *4については、深い地獄界まで降りて説得をするというのは難易度が高いので、菩薩界下段界クラスでは行われていないと思います。, もっとも、こうした「わざわざ地獄領域へ行って…」というのもひとつの専門的な仕事になってきますので、やはり個々人の専門領域がどこにあるか?で変わってくるはずです。, 以上、ざっとした説明ですが、重要部分・本質部分は語ることができたのではないかと思います。今後、追加すべきことがあれば、また別の記事で書いていきます。, 以下は、話が若干、哲学的になりますが、「マクロ視点での利他」を考えるときに、今後、重要な視点になってくるかと思いますので、興味ある方はぜひお読みください。, 前回の記事で、「天界の上段階は、非常に相対観が強くなる切磋琢磨の世界である」と書きました。, 切磋琢磨の世界であるということは、別の言い方をすると、「差別観・差別知の世界である」ということです。, この場合の、「差別観・差別知」というのは、いわゆる「差別する」といったような悪い意味ではなく、「自分と他者の違いを意識する」といった意味です。, ところが、菩薩界に差し掛かるようになると、差別知による学びはもちろんあるのですが、それはそれとして、同時に「平等観・平等知」が強くなってくる傾向が出てくることになります。, このことは、以前、「平等知→差別知→平等性智への階梯」という記事で書いたことがありますので、参考になさってください。, この記事では、菩薩の智慧の段階を「平等性智(びょうどうしょうち)」という仏教用語で説明しています。, この平等性智の境涯は、「差別知による切磋琢磨・学びを大事にしながら、同時に、生きとし生けるものに仏性・神性の輝きを認めていくことができる智慧の段階」と定義することができると思います。, 平等性智(ジンテーゼ) 2019.12.20 仏と菩薩と神はどう違うのでしょうか?全部同じと思っているのは、仏教を学んだことのない人です。その理解では仏教はまったく分からなくなってしまいますので仏と菩薩と神の違いを分かりやすく解説 … 高田, 「十界論 ー スピリチュアルな出世の段階 – ⑧天国篇 – 声聞界・縁覚界」の続きです。, 今まで十界を順番にお話してきましたが、「基礎があって応用がある」という流れは一貫しているとお気づきの方もいらっしゃると思います。, といったふうに、上の世界は、必ず下の世界をクリアした上で成立している世界であることが分かります。, 土台があって、柱が立って、家ができる…というふうに、必ず、基礎から応用へ進んでいくわけで、ここのところ、あまりにも常識的でかえって驚かれる方もいらっしゃるかもしれません。, それはやはり、菩薩とか天使、というと、「何か非常に特殊な神秘的な存在である」という歴史的な(あるいは芸術的な)イメージ、思い込みから来ているのですね。, 仏教では、「人間は決意と実践次第で誰でも菩薩になれる、さらに仏陀にもなれる」(そもそも、仏陀の悟りを目指すのが菩薩なのですが)という力強い思想があります。, 一方、キリスト教では、父と子と聖霊は三位一体だとしても、私たち一般の人間はまるで関わりがないと申しますか、たとえば、「修行して聖霊になる」という修行論は認められていませんね。, ここらへんは、実際のところ、キリスト教の教義の幅と深さが不十分であった、というところに起因しているわけですが。, しかし、実際は、原始キリスト教、つまりカトリックが成立する以前には、グノーシス主義、あるいはグノーシス的色彩をもった福音書も作られていました。, 今回は深入りしませんが、現行の聖書からは「外伝」として除外された「トマスによる福音書」を読むと、「これはほとんど仏教思想ではないか」と思えるところがあります。, 「グノーシス(知識・智慧)の獲得によって、人間は自らの神性を顕現していくことができる」という考えは、仏教の仏性論・修行論とほとんど同じ考え方です。, なので、残念ながら歴史的には異端とされてしまいましたが、オリジナルのキリスト・イエスの教えは現行の福音書に書かれているよりも、はるかに仏教にも通じる思想が展開されていたのです。, コチラの記事で若干、詳しい考察をしておりますので、興味のある方は読んでみてください。 「菩薩」は仏教界の序列において如来のすぐ下の位にあり、如来の意志に従ってさまざまな姿に変わります。そのため女性のような姿をしていたり、頭上に顔がたくさんあったり、手が千本あったり、と多様な外観をもつのが大きな特徴。 あらゆる方法で人々を救済するために存在し、単体で� この御文に基づき、六道の一つ一つについて述べていきます。. 「仏像」は、仏教における崇拝の対象であるとともに、美術品としても貴重な日本の文化財です。, 京都や奈良のお寺に行くとたくさんの美しい仏像を拝観できますが、あまりにも種類が多すぎて初心者は混乱しやすいでしょう。「如来」「菩薩」「明王」「神将」など、どれがどの仏さまかわからない…などでお困りの方のために、知っておくといい「仏像の種類」をご説明します。, 仏教では、仏さまそれぞれに役割があり、また同じ仏さまでも「釈迦如来(しゃかにょらい)」「阿弥陀如来(あみだにょらい)」など、細分化されていてわかりにくいのです。, しかしそれぞれの仏さまは、特徴的な「姿」「持ち物」で区別がつくので、ちょっとした知識を持っておくと、仏像鑑賞がより楽しくなるでしょう。, 「仏像」は、仏教で信仰される「仏」の姿をうつした彫刻のことです。最初の仏像が作られたのは、釈迦が亡くなってから500年もあとのこと。それまでは、釈迦の足をイメージした「仏足石(ぶっそくせき)」や釈迦が誕生した時に咲いたという「蓮の花」などが崇拝の対象になっていました。, やがて紀元1世紀頃に、インドのガンダーラとマトゥラーという場所で、人間の姿をした仏像が作られ始めます。これが仏像の始まりです。最初の仏像は、「仏」としての釈迦の姿をイメージして作ったもので、「三十二相、八十種好(さんじゅうにそう はちじゅうしゅごう)」という特徴をもつ、一種の理想像です。, 具体的には、仏像の中に「32種類の大きな特徴と80の細かい特徴」が再現されているもの。たとえば釈迦の姿をうつした仏像の「如来(にょらい)」は、「足下安平立相 (そくげあんぺいりっそう) 」という平らで安定した足裏を持っており、さらに「手足柔軟相(しゅそくにゅうなんそう)」といって、手足は柔らかく赤色で手のひらはふっくらした形をしています。, 仏像の基本形である「三十二相、八十種好」は、その後、仏像の種類がどんどん増えるうちに、さまざまなバリエーションが追加され、多種多様な仏が生まれました。, 現在では「観音」「菩薩」「明王」など、さまざまな種類・形式・外見の仏像が作られており、ゆたかな仏教芸術のひとつとして発展し続けているのです。, もっとも序列が高いのは「如来」で、これは「真理を悟った人」である仏教の開祖・釈迦の姿をかたどったものです。悟りをひらいた後の姿ですから、如来は仏像の中で位が高いとされます。, 反対に、もっとも序列が低い「天」は、仏教を守護する役割を持つ仏です。もとは古代インドの神々だったものが、仏教に取り入れられていくうちに仏教・仏を守る「護法」の役割を持つようになりました。仏を守る役割のため、序列としては下におかれています。, 「天」に属する仏は非常に種類が多く、造形も多様なため、美術品・彫刻作品としてみるのが楽しい仏像が多いのも特徴。このように、仏像の世界は「悟った人」釈迦(如来)をトップにして、下に広がっている世界でもあるのです。, また「仏像の基本4種類」に含まれないものとして、聖徳太子や仏教の高僧の姿をうつした彫刻もあります。こういった像は崇拝の対象となっているので「仏像」として扱われますが、仏でなく人間の彫刻像であるため、仏像の4種類には含まれません。別ジャンルの像として崇拝されています。, 仏としての序列ごと、種類ごとに外見や持ち物の違いがあり、それぞれに「なぜその姿なのか」「なぜそれを持っているのか」という理由もあります。小さな知識ですが、知っておくと仏像を見るうえでの理解がより深まるでしょう。, 「如」=真理の世界、「来」=来たひとという意味で、「真実界から来た人」=如来です。仏教のなかでは最高の境地に至った存在として、もっとも高い位にあります。, 「如来」の役割は、人々を苦痛や業(ごう)から救い、解き放つこと。病を治す・亡くなった時に極楽浄土への縁を結ぶなど、人間が生まれてから死ぬまでの一生にかかわる仏です。, 釈迦は実存した人物ですが「釈迦如来」は悟りを開いたあとの理想形。そのため外観にはいくつか特徴があります。髪は「螺髪(らほつ)」といい、丸い粒が均等に並んで渦巻きのようになっています。頭頂部が盛り上がった「肉髻(にくけい)」という、仏としての深い知恵を表現する形です。, 両手は「印」を作り、右手は「施無畏印(せむいいん)」といい人々の恐れを取り除くもの、左手は「与願印(よがんいん)」といい、人々の願いを聞き入れる印を作っています。, また釈迦如来の着ている衣に装飾がない点も、他の仏像との大きな相違点。釈迦如来は「悟りを開いた後」の姿のため飾りは不要とされているからです。, お寺などに安置されている釈迦如来には、両脇に「脇侍仏」として「文殊菩薩(もんじゅぼさつ)」「普賢菩薩(ふげんぼさつ)」が従っていることがあります。, いわゆる「釈迦三尊(しゃかさんぞん)」の形式で、その場合も釈迦如来はシンプルな衣をまとい、両脇の菩薩は胸飾りや頭飾りをつけているので見分けがつきやすいでしょう。, 「阿弥陀如来(あみだにょらい)」は、修業の末に悟りを得て「如来」になった姿の仏像です。, 阿弥陀が修行のために立てた48個の大願のなかに、「念仏を唱えると極楽浄土に行ける」というものがあり、これを信じる人々が「阿弥陀信仰」を奉じたことで盛んに信仰されるようになりました。, 阿弥陀如来は「西方極楽浄土」の主であり、「無量寿如来」「無量光如来」とも呼ばれます。, 外観は「釈迦如来」と同じく螺髪・両手の印・シンプルな衣をまとい、「阿弥陀三尊」の場合、「勢至菩薩(せいしぼさつ)」「観音菩薩(かんのんぼさつ)」が脇侍仏です。人生で一度でも念仏を唱えたことがある人が亡くなる時には、阿弥陀三尊が迎えにやってきます。, 「勢至菩薩」が極楽往生を願う気持ちをおこさせ、「観音菩薩」が蓮の花をかたどった「蓮台(れんだい)」に人々を乗せて阿弥陀如来とともに極楽に連れていく、という役割です。, 「薬師如来(やくしにょらい)」は、修行を経て、人々を病から救うことができるようになった仏です。, 「東方瑠璃光浄土」の主であり、「医者の長」とも呼ばれます。外観は螺髪・両手の印・シンプルな衣と、如来に共通のものですが、薬師如来のみは、手に「薬壺(やっこ)」という小さな壺を持っています。, このなかに万病に効果のある霊薬が入っているとされてきました。「如来」という名のつく仏像で、手に壺を持っていたら「薬師如来」と思って間違いありません。ただし、奈良時代以前の薬師如来は薬壺を持っていないものもあるので、釈迦如来と区別がつきにくいです。, 日本では古くから病気平癒を願って、多数の薬師如来像が作られました。とくに眼病に霊験があるとされ、熱心な信者の多い仏です。, 「大日如来(だいにちにょらい)」は、仏教界にある「金剛界」と「胎蔵界」の中心となる仏のこと。宇宙の真理をあらわす仏で「、密教(みっきょう)」というインド発祥と伝わる仏教のなかでは最高位にある絶対的な存在です。, 「如来」としては比較的華やかな外見をしており、身体には「宝冠」「瓔珞(ようらく・首や胸の飾り)」「臂釧(ひせん・二の腕の飾り)「腕釧(わんせん・手首の飾り)などを身につけているため、「釈迦如来」「阿弥陀如来」との違いがわかりやすい仏像です。, 「如来」と名がついていても、飾りが多くて頭に宝冠がついていれば、大日如来の仏像である可能性が高いでしょう。, 「菩薩(ぼさつ)」には多数の種類があり、たとえば「観音(かんのん)」は菩薩の種類のひとつです。ここではよく見かける四つの「菩薩」についてご説明しましょう。, 「菩薩」とは、「悟りを求めるもの」という意味です。最終的に「如来」になることを目標にして、修行を積んでいる途中の「修行者」のこと。仏でありながら、修行中の身なのです。, 「菩薩」は仏教界の序列において如来のすぐ下の位にあり、如来の意志に従ってさまざまな姿に変わります。そのため女性のような姿をしていたり、頭上に顔がたくさんあったり、手が千本あったり、と多様な外観をもつのが大きな特徴。, あらゆる方法で人々を救済するために存在し、単体でも崇拝されますが、「釈迦三尊」「阿弥陀三尊」のように、如来像の左右に脇侍仏(わきじぶつ)として配置されることもあります。, 広く信仰されている仏で「観音菩薩(かんのんぼさつ)」「観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)」とも呼ばれます。人々の苦しみの声を聴いて救ってくれる仏で、あらゆる人々を救済対象としているため、広く信仰される仏です。, 外観としては、華やかな装飾品をふんだんにつけている点が大きな特徴。「菩薩」は修行中の釈迦の姿をモデルとしていると言われ、もともとインドの王子だった釈迦が悟りを開く前の姿なので、衣装・装身具が多いのです。, そのため「聖観音」も、宝石を使った「宝冠」や上半身に巻き付けている細長い布「条帛(じょうはく)」、腰に巻き付けるスカートのような「裙(くん)」、肩にかけるショールのような「天衣(てんね)」をまとった姿になります。, 「変化観音(へんげかんのん)」と呼ばれる、さまざまな外見を持つ菩薩のなかでも、最も早い時期に形が成立したと言われている仏さま。, 頭上の顔はそれぞれ違う方向をむき、世界中をまんべんなく見つめて人間の苦悩をあまさずに救済する、という意味から十一の面があります。, それぞれの面には意味があり、慈悲をあらわす「菩薩面(ぼさつめん)」や怒りをあらわす「忿怒面(ふんぬめん)」など、感情豊かに表現される仏像。, なお、十一面の一番うしろにある面は「大笑面(だいしょうめん)」といい、人間の愚かさを笑っている顔です。顔いっぱいで笑っているという珍しいもので、通常の正面から拝観する場合は見ることができませんから、機会があればぜひ後ろへまわってみましょう。, 「弥勒菩薩(みろくぼさつ)」は、仏の世界「兜率天(とそつてん)」で修業中の仏です。釈迦が亡くなったあと、56億7000万年後に人間界にあらわれて、人々を救済すると言われている重要な菩薩。いわば、釈迦の後継者的な存在の仏です。, ただし、現在の弥勒菩薩は如来をめざして修行中であるため、「物思いにふける姿」で表現されます。坐像で、頬に手を当てて考えている姿の像が一般的です。, その静謐な姿・表情から人気の高い仏像で、日本では京都の太秦にある広隆寺(こうりゅうじ)の「弥勒半跏思惟像(みろくはんかしゆいぞう)」が「日本一うつくしい仏像」として有名。国内外からの人気が高い仏像です。, また奈良の中宮寺(ちゅうぐうじ)の「菩薩半跏像(如意輪観音像)」は、微笑をたたえたおだやかな表情で、飛鳥時代の「アルカイックスマイル」の仏像として広く知られています。, 「地蔵菩薩(じぞうぼさつ)」は、釈迦が亡くなってからあと、弥勒菩薩が悟りを開いて人間を救いにやってくる56億7千万年後までのあいだ、人々を救う役目を持つ仏です。, 菩薩の一体に数えられますが、インドの王族を象徴する菩薩の豪華な姿をイメージすると違和感のある、素朴な姿が特徴です。, 髪は他の菩薩のように高く結い上げる形でなく、修行僧のようなまるい坊主あたま。宝冠や首飾りなどの豪華な装飾品はほとんどなく、代わりに「錫杖(しゃくじょう)」と「宝珠(ほうじゅ)」を持っています。, 地蔵菩薩は、路傍に立って子どもを守る仏として身近な仏像ですが、実は弥勒菩薩がやってくるまでの長い間、人間の世界を守り続ける役割を持つ重要な仏なのです。, 「明王(みょうおう)」も種類の多い仏像ですが、ここではよく知られている次の三つをご紹介しましょう。, 救いがたい人間や生き物を調伏するために、怒りの表情「忿怒相(ふんぬそう)」で仏教の教えを説いています。, インドの宗教「ヒンドゥー教」が仏教に取り入れられて生まれた仏で、密教の中心である「大日如来(だいにちにょらい)」の化身だとされます。厳しく人々を導くために顔や手足の数が多かったり、手には武器や蛇などを手にしていたりするのが特徴です。, 「不動明王(ふどうみょうおう)」は、明王の中でももっとも威力があり、修行者を守る仏です。, 「五大明王」がそろう時には、中央の安置される重要な仏像。不動明王は、「大日如来」の命を受けて行動し、仏法を守らないものを調伏するためにすさまじい忿怒相で表現され、光背(こうはい)は炎の形を模しています。, 基本的にはひとつの顔に2本の手を持つ姿ですが、なかには4本の腕を持つ不動明王像もあり、手には武具を持っているのが特徴です。, 右手には煩悩を断ち切る「宝剣」を、左手に元はインドの武器だったという「羂索(けんじゃく)」を持っており、とくに「羂索」には煩悩を縛り衆生を救うという意味があります。, 不動明王が単独で安置される場合は立像が多く、脇侍仏として、「童子(どうじ)」である「矜羯羅(こんがら)」「制咤迦(せいたか)」を従えていることが多いです。, 「愛染明王(あいぜんみょうおう)」は、恋愛や縁結びのご利益があるといわれる仏です。, 不動明王と同様に怒りをあらわす「忿怒相」ですが、人間の愛欲を浄化して、仏道に向かう心「菩提心(ぼだいしん)」に変えるという役割を持っています。光背は赤い日輪(太陽)をイメージしたもので、「宝瓶」の上に乗った蓮華座に座っている姿が一般的です。, 愛染明王は「一面三目六臂」の仏像で、身体は色欲をあらわす赤色、頭に「獅子の冠」を乗せているのが大きな特徴。また6本の手はそれぞれ「持物」を持っていますが、その中に弓と矢が含まれています。, かつて、孔雀は毒草や毒蛇を食べても死なない鳥だといわれ、天変地異をおさめて、雨を降らせることができる生き物だとされてきました。, とくに毒蛇は古代インドでは「煩悩」の象徴だったため、煩悩をのぞき、災いをしりぞける仏として崇拝されてきたのです。孔雀明王の特徴は、孔雀に乗っていること。, また4本の腕それぞれに「吉祥果(きちじょうか)」と呼ばれるザクロや、「蓮華(れんげ)」と呼ばれる蓮のつぼみ、招福をしめす「孔雀の尾」を持っていることがあげられます。, 孔雀明王は、明王でありながら表情はおだやかな「菩薩面(ぼさつめん)」。これも他の明王とは大きく違う点で、もともとは、孔雀明王がヒンドゥー教の女神に由来する仏だから菩薩面だという説があります。, 「天」は、仏教に帰依した神々のことで、仏教の信仰をさまたげるものから人々を守る「護法」の役割がある仏です。, 自然現象を神格化した「風神」「雷神」なども「天」の仏で、他にも「四天王」や、「七福神」も「天」に含まれます。「天」はインドの土着の神々をベースとしているため、バリエーションが非常に豊富。個性豊かな仏像が多いのも「天」の特徴です。, 「十二天」の一人に数えられ、武術に長けているため甲冑をつけています。密教では「一面三目二臂」の姿で登場し、手には古代インドの武器である「金剛杵(こんごうしょ)」を持ち、坐像の場合、乗り物は白いゾウです。, 四面四臂の「梵天(ぼんてん)」という守護神と一対の仏像になっていることが多く、帝釈天も梵天も古代インドの神が仏教に入ったもの。ともに「如来」に帰依して仏法の守り神になったという経緯があります。, 帝釈天と梵天は一対の仏像のため見分けがつきにくいのですが、梵天は甲冑ではなく中国風の衣服を身に着け、ガチョウをかたどった台座の上に乗っているのが特徴です。, 「阿修羅(あしゅら)」は、釈迦を守護する仏です。鳥の顔を持つ「迦楼羅(かるら)」や、ツノのある音楽神「緊那羅(きんなら)」とともに「八部衆(はちぶしゅう)」に含まれます。, かつての古代インドでは、「阿修羅」は暑さをまねき大地を干上がらせる太陽神であり、常にインドラとよばれる神と戦う戦闘神でした。インドラが「帝釈天」となって仏教に帰依した後も、阿修羅は長いあいだ帝釈天とのあいだに戦いを繰り広げ、仏教の妨げになったとされています。, 仏像では「三面六臂(さんめんろっぴ)」の姿で、表情は怒りを表現する「忿怒相」。3組の手は、ひとつで合掌し、ひとつで月と太陽を持ち、残るひとつで矢と弓を持っています。, 戦闘神でありますが、なぜか甲冑を身に着けていない姿が残っているのも特徴の仏像です。, 「弁財天(べんざいてん)」は、水の恵みをあらわす仏です。日本では七福神のひとりとして有名ですが、もともとはインドの「サラバティー(聖なる河)」を神格化したもの。富や食べ物、子孫をさずける仏でもあります。, 弁財天には「二臂」と「八臂」の2種類の姿がありますが、仏像としては二本の腕を持つ「二臂」が多く、楽器の琵琶をもっていることが多いです。, 「八臂」は鎌倉時代以降の仏像に多く見られ、「宝珠」などを手に持ち、頭に「人頭蛇身」の「宇賀神(うがじん)」を乗せているものがあります。, 神仏習合による「垂迹神(すいじゃくしん)」や、釈迦の高弟などの像などです。ここでは、有名な2種類の像についてご説明しましょう。, どちらも実在した人物の彫刻像ですが、仏教の隆盛に尽力したとして、信仰の対象となっているのです。, 「聖徳太子(しょうとくたいし)」は用明天皇(ようめいてんのう)の第二子で、日本で最初に仏教を理解して積極的に取り入れたひとです。, 幼い頃より知恵が深く、仏法を理解したとして「救世観世音菩薩(ぐぜかんぜおんぼさつ)」の化身として信仰されてきました。, 仏像としては、幼児の姿である「二歳像」、耳のところで髪をまとめた姿の「七歳像」・「十六歳像」、束帯姿で手に笏(しゃく)を持っている「三十五歳像」などがあります。, インドや中国、日本において仏教の布教に尽力した人物や、仏教の隆盛を支えた高僧の姿をうつしたもので、仏像と一緒に崇拝の対象となりました。, 奈良の唐招提寺(とうしょうだいじ)の「鑑真和上像(がんじんわじょうぞう)」や、「空海(弘法大師)」「空也上人」などが祖師像の主なものです。, また、日本では「縁起物」として有名な「達磨大師(だるまだいし)」も祖師像のモデルのひとりです。, 〒145-0062 東京都大田区北千束3丁目26-14TEL:03-6425-9735フリーダイヤル:0120-777-064営業時間:11:00~18:00(定休日:日), 2019-2020