二女:鴻池香世子, ◆鴻池肇一  2017年 鴻池運輸常務執行役員

    長男:鴻池忠彦   父:清水小六【鴻池小六】  尼崎市会議長

出典:サンテレビ (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); しかし、1993年の第40回衆議院選挙で落選してしまい、1995年の第17回参議院選挙に兵庫2区から出馬して復活当選を果たし、以後は参議院議員として活動を続けていました。, 2002年9月30日に発足した小泉改造内閣(第1次)で構造改革特区担当大臣・防災担当大臣として初入閣し、翌年9月22日まで職務を全うしました。, 鴻池さんは血筋や遺伝の影響もあってかズバッとした物言いが人気でしたが、あまりに包み隠さない表現が多くあり、メディアや国会で問題になっていました。, 「嘆き悲しむ(被害者の)家族だけでなく、犯罪者の親も(テレビなどで)映すべきだ。親を市中引き回しの上、打ち首にすればいい」, 次に、2003年7月18日に東京都で発生した4女児監禁事件(プチエンジェル事件)について。, 発言が全方位からは袋叩きにならないのが鴻池さんの特徴で、思っているけど言うのは度胸が要る内容をストレートに表現しており、賛否が分かれる内容が多かったですね。, 晩年は自民党内で保守派の重鎮として活動し、国会だけでなくテレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」で社会問題について積極的に発言を続けていました。, 2009年1月に「週刊新潮」で議員宿舎に泊まる超一流企業の「美人妻」との関係を写真付きで報じられ、河村建夫官房長官から厳重注意を受けました。, さらに「週刊新潮」は大々的にキャンペーンを行い、先の女性だけでなく「機密漏洩疑惑」や別の女性と熱海温泉へ旅行し、その際に国会議員の特権”JR無料パス”を使用したと報道。, 一連の流れを受けて麻生総理は鴻池さんの更迭を決断し、自民党兵庫県連は鴻池さんを除籍処分にしましたが、これが現在の長男・肇一さんの重しになっている様子でした。, 2014年4月頃に籠池夫妻から「紙に入ったもの」を差し出され、財務省への口利きを頼まれるも即座に断ったエピソードを語って注目を集めました。, 鴻池さんは特段、財務省に対して強い影響力がある訳では無いですが、籠池夫妻の掲げていた「保守的思想の教育方針」に共感していた事から口添えを頼んだ事が推測されました。, 今のところ鴻池さんの詳しい死因などは発表されていませんが、実は2009年頃に「間質性肺炎※」で入院していた過去があったそうです。, 最近は体調がすぐれない事が多く、体力面の不安から次期参議院選挙への不出馬を決めるほどだったので、周囲が思っている以上に深刻だったのかもしれません。.   父:鴻池祥肇

 1989年 鴻池運輸副社長   養母:  人事興信録 19版

    長男:鴻池通紀   母:

株式会社鴻池組(こうのいけぐみ)は、1871年(明治4年)に鴻池忠治郎が創業した、大阪市 北区に所在する建設会社。 日本のゼネコンでは中堅 の規模を誇り、同じ大阪に拠点を置く大林組・竹中工務店・錢高組・奥村組・淺沼組と並ぶ在阪ゼネコンの一つに当たる。  1906年 鴻池組入社  人事興信録 13版

  母:大林敏子(大林組副社長 大林賢四郎の二女)  1980年 日本青年会議所会頭  2013年 鴻池運輸入社  1935年 尼崎鴻池組入社

 1976年 鴻池組入社     女:鴻池恵     二女:鴻池喜美子(鴻池組取締役 荒井健雄の妻)   妻:   母:, ◆清水小六【鴻池小六】  1905年 誕生   妻:【奥田ツネ】(奥田惣次郎の養女)  山下汽船  1879年 誕生     長男:鴻池勝治     長男:鴻池一季   妻:鴻池勇喜子(鴻池組社長 鴻池忠三郎の三女)  2013年 鴻池組名誉会長  人事興信録 28版     二女:鴻池典子(★鴻池運輸会長 辻卓史の妻)

 1981年 鴻池組副社長

  母:前嶌通子(前嶌真三郎の三女), ◆鴻池祥肇   母:トヨ  2018年 鴻池運輸専務執行役員  鴻池組副社長 大林組の歴代社長 初代:大林芳五郎(1892年~1916年) 2代:大林義雄(1916年 ~1943年) 3代:大林芳郎(1943年 ~1989年) 4代:津室隆夫(1989年 ~1997年) 5代:向笠愼二(1997年 ~2005年) 6代:脇村典夫(2005年~2007年) 7代:白石達(2007年~2018年2月)  1985年 鴻池組社長   妻:トヨ   父:鴻池忠三郎  1944年 鴻池運輸社長

    五男:     男:鴻池藤吉  1883年 誕生  鴻池組取締役

大阪は商人(あきんど)の街、天下の台所とも称される。古より商都大阪は、河川(水)を利用して商業が発達し、数多くの廻船問屋を育んできた。, 江戸時代、大阪中津川の河口に大型の商船が発着する場があった。伝法である。この地から樽廻船や菱垣廻船が、武士の街江戸へと往来し大いに賑わった。酒・昆布・醤油・みりん・海苔・線香等の日用品が、江戸へ江戸へと向かい、豪商といわれる商人が出現した。その豪商のなかにあって、代々法華信仰を粛々と育んだ名家がある。のちに、建設業や運輸業を興した鴻池家である。, 鴻池家が大阪伝法に居を構えたのは、17世紀ごろといわれ、六軒屋という屋号で大阪の人々に親しまれてきた。江戸時代から明治に入り、社会変革期を見とった創業者鴻池忠治郎氏は、大阪の湾岸部にたびたび水害が発生することに着目した。, 忠治郎氏は近在の農家の人々に呼びかけ、労力を集め、港湾整備のため材料を作る製材業や、土木建築業を始めたのであった。, 淀川を始めとする河川の整備・改良工事によって、鴻池の事業は近代工法を取り入れながら次第に、その規模を拡大していった。殊に、明治30年代から着工された新淀川開削工事を契機として海運業から建設業への礎を築いていくことになる。, 創業者忠治郎氏の意志を忠三郎氏(初代社長)が継ぎ、藤一氏(第三代社長)が発展させ、そして、一季氏(第四代社長)に至っている。現在、大阪本社のほか、東京・名古屋・仙台等に14ヵ所の本・支店を数え、鴻池運輸等の系列グループを含めると、1万人を越える従業員を有した大企業となっている。, 300 余年の伝統を誇る鴻池家は代々、同じく伝法にある日蓮宗正蓮寺(奥邨正寛住職)を菩提寺としてきた。鴻池組の登記は此花区伝法4丁目となっており、北伝法に因み“北”の字を丸く囲んで、組の社章としている。これも、鴻池組発祥の地にこだわっているからであろう。この地に、今でも明治創業時の建物が残され、正蓮寺の前には素晴らしい社員寮が建てられている。頑なまでの伝法へのこだわりは、ご先祖から受け継いだ伝統を大切にしようとする家風からきたものであろう。, 正蓮寺では、毎年8月下旬、大阪の人々から「寺の天神祭」とも称される川施餓鬼が行われている。海中から出現した日蓮聖人像をお祀りする、この伝統行事は享保年間から続けられている。, 鴻池家は代々、この行事の裏方の総責任者としての役割を果たしてきた。40~50人乗りの船(平成11年は大型船1隻を加えた)を10隻ほど確保し、船が発着する臨時の桟橋を作り、港湾当局の許可も得なければならない。この作業・交渉を一手に引き受けるのが鴻池家の人々である。初代社長忠三郎氏の妻トヨさんは、参詣者の弁当約1000個を作る台所の総監督をこころよく引き受け、行事が終わるまで台所に鎮坐するのが常であったという。, 第三代社長藤一氏は、忠三郎氏の次男として明治45年1月に生を享け、戦局が悪化した昭和19年12月、32歳の若さで社長に就任し、平成6年3月9日、享年82で霊山往詣するまで、社長・会長として半世紀にわたり、“不言実行”“寡言”を尊ぶ人として鴻池組を統率し発展させた。この間、大阪工業会会長・全国建設業協会会長を歴任し、関西経済界の重鎮としても活躍した。もちろん、正蓮寺の護持にも大きな精力を傾けたのであった。, 第2次世界大戦の末期、大阪市もアメリカ軍の爆撃を受け、市街は焦土と化し、水の都の橋や土手も破壊された。伝法も例外ではなかった。, 正蓮寺第25世奥邨学進住職は応召され、朝鮮半島木浦、済州島で兵役を務め、終戦から1年後の昭和21年11月2日、再び生きて伝法へとたどり着いた。しかし、堤防の決壊で満潮には新淀川の河口に近い寺の本堂や庫裡は浸水し、浮殿状態であった。, 「何ともまあ、大阪も、伝法も、寺も、大変なことになってしまった。それでも、女房や子供が生きとって、ほんとうに良かった。これから頑張ればいいんだ」, とみずからをはげますしかなかった。さっそく、4丁目の鴻池家に向かった。フィリピン戦線へと兵役に就き、ようやく帰国した藤一社長が出迎えた。, 「お上人! 私も心配していたんです。さっそく、明日から工事に入らせていただきます。近くの土手も応急処置をしなければいけません」, 正蓮寺の妙見堂前には、鴻池本家の墓が建つ。墓地には分家7軒の墓が建ち並んで、実に壮観である。藤一社長夫妻は、現住職・正寛師の弟子正道師が出家する折には得度親となった。敏子夫人は毎朝のお勤めに、方便品・お自我偈・神力偈・観音偈を読み、唱題することを日課としている。, それは現社長一季氏夫人の民子さんにも受け継がれている。また、藤一氏の弟十郎氏(鴻池運輸会長)もお勤めを欠かさないという。, 一季氏は神戸大学・カリフォルニア大学バークレー校を経て工学博士号を取得した俊才。英語にも堪能で海外建設協会の会長として活躍し、アジア・アフリカの開発途上国の技術援助・指導にも尽力している。タンザニア共和国の名誉領事を務めるほか、大阪本社内にタイ王国領事館があるのもその証であろう。見返りを求めない、法華経の菩薩行にも通じる。8月15日のお盆には、お仏壇の前に端坐し、ご先祖への供養のため、自ら木鉦をもって家族と共に唱題・読経するという。鴻池家には、今も法華信仰を伝え、育み、菩提寺を護持するという家風が脈々と生き続けている。.